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PROFILE
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海の色は青だけではない、夕日は赤やオレンジだけでもない
無数の中間色が絶妙なグラデーションで広がっていた
デザインは、色とカタチ
私が一番大切にしたいのは「色」なのだと思えてきた
10代で目にした故郷の色にほかならない海の色は青だけではない、夕日は赤やオレンジだけでもない 無数の中間色が絶妙なグラデーションで広がっていた
デザインは、色とカタチ 私が一番大切にしたいのは「色」なのだと思えてきた
10代で目にした故郷の色にほかならない
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中川哲子Tetsuko Nakagawa
中川哲子デザイン室 代表
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1967年熊本県天草市生まれ。結婚9年目にして授かった待望の長男「哲」を一週間で失くした両親は私に、兄の名前に「子」を付けて哲子と名付けた。そのせいか、幼少期は男の子に混じって冬でも短パンで駆け回り、負けず嫌いの悪ガキだった。子どもの頃の夢は(誰にも言えなかったけど)女優。(手が小さく才能もなかったけど)ピアノの先生。(具体的な職業は分からなかったけど)モノづくりする人。ただ、小学生の頃から図画工作は得意で、父の本棚にあった図案集をよく見ていた。
故郷は、いまだに信号もコンビニもない小さな温泉町。でも豊かな自然に恵まれ、その昔キリシタン文化が栄えた場所。西海岸に沈む夕日を眺めながらスクールバスで通った中学3年間。故郷を離れたい一心で熊本市内の高校へ進学し、下宿生活を送りながら、将来は東京の美大へと夢を膨らませていた。しかし、なぜか19歳で結婚! 21歳で母となるも、人生このままでいいのか? 資格も何もないけれど、10年後にはグラフィックデザイナーになりたい! と一念発起、デザインスクールへ。
20代は手書きのポスター制作に没頭。デザインコンペへの出品を地道に続け、1994年27歳で熊日デザイン賞グランプリ文部大臣奨励賞を受賞。印刷会社のデザイン室に5年間勤務した後、2000年32歳で中川哲子デザイン室を設立。フリーランスとなって20年以上経過した現在は、熊本大学、高専など教育機関の各種印刷物を中心に、熊本市現代美術館や企業の記念誌制作などブックデザインも手掛けている。- 所属団体
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公益社団法人 日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)
熊本県文化懇話会
熊本県美術家連盟
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村上邦子Kuniko Murakami
デザイナー
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1974年熊本市生まれ。小学生の頃からモノづくりに興味があり、将来はプロダクトデザインの道に進みたいと思っていた。迷わず熊本県立第二高等学校美術科を選択し、卒業後はデザイン系の短大へ進学。シルクスクリーンの印刷会社に2年間勤務し、その後、結婚・出産などひと通りライフイベントを終えたタイミングで、デザインの仕事を再開。
縁あって2006年より中川哲子デザイン室のメンバーとして、現在に至る。当時5歳だった長女は大学生に、1歳だった長男が高校生にと、子供の成長に合わせた働き方で15年目を迎えることができた。さらに経験を積み重ね自身のレベルアップを図りたい。
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本田史郎Shiro Honda
スタッフ
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1957年熊本市生まれ。2022年4月まで民放アナウンサー。現在もラジオ・テレビのニュースやナレーション、スポーツ実況などを担当。アナウンスメントのプライベートレッスン(中高大対象)も行なっている。アナウンサー時代は、ナレーション・朗読・スポーツ実況などで活躍。2000年と2002年にはアノンシスト賞全国最優秀賞を受賞。
2016年には、初の著書「本田史郎の熱狂!絶叫!実況中継 スポーツアナウンサー35年の全記録」を上梓。現在中川哲子デザイン室では、取材や原稿執筆、校正など幅広く担当している。